どらやき七変化

連載 すずなり

「どらやき」と聞いて知らない人はいないと言っても過言ではないくらい、定番中の定番の和菓子のひとつ。随分と昔から親しまれてきた感のあるどらやきですが、いつ頃、どんな発祥だったのかご存知でしょうか?諸説ある中で有力とされているのは平安時代末期。時は源平合戦の最中です。負傷した武蔵坊弁慶が民家で治療を受けたお礼に、打楽器の銅鑼を熱したものを鉄板の代わりとし、小麦粉を水で溶いたものを焼いた生地で餡子を包んで振る舞ったのが最初といわれています。

どらやきの名前にある「どら」は「銅鑼」に起源しているようです。一方、その形は色々な変化を遂げて現在に至るようです。弁慶の頃は焼いた生地で餡子を包む形だったようですし、時代が同じかは分かりませんが、最初は薄く焼いた生地に餡子をのせて、生地の端を四角く折り畳んで包んだものだったという記述もあります。その後、明治の頃に丸い形となり、現在の形となる2枚のカステラ生地で餡子を挟むようになったのは大正時代とされています。

味わい自体は弁慶の頃から考えると800年以上も前から私たち日本人の舌に馴染んできたお菓子ですが、どらやきとして成り立ったのは大正時代からだと考えると案外、そんなに古くないお菓子のようにも思えます。大正時代にはハイカラなお菓子としてモボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)に求められていたのかもしれませんね。少し前までは東京の手土産ナンバーワンとして選ばれていたほど、長く人気のお菓子でした。

定番のお菓子として人気が出ることで、つくられる工程は機械化され、味も形も同じものとして量産される運命をどらやきも辿りました。そのせいか人気は一時ほど無くなってしまった印象です。それでも、どらやきは美味しい!と、鈴懸では昔と変わらず手焼きにこだわり、ふっくら丸い生地を毎日焼き上げています。さらに間に挟む餡子は黒餡ではなく、白いんげんの仲間である手亡豆の白餡です。この手亡豆の餡も今ではあまり見かけなくなってしまいました。多くの方はどらやきに挟まるのは黒餡をイメージされているため、ずいぶんお客様から「黒餡はないの?」と店頭で尋ねられたようです。それでも手亡豆の餡と、丁寧に焼いた生地との組み合わせが美味しいという思いは揺るがず、販売し続けた結果、今では「これが美味しいですね!」とお客様にも鈴懸のどらやきとして認知していただき喜ばれるようになりました。見た目も味もシンプルなどらやきは、店ごとに特別に材料の差があるわけではありません。だからこそ、職人の技術がストレートに反映されるお菓子だとも言えるのです。古くからどんな方にも親しまているどらやきのようなお菓子を「美味しい」と言っていただけることは、菓子屋として本当に嬉しいことだと店主は目を細めます。

どらやきは、味がシンプルなだけにご自宅でちょっとしたお手間をかけていただくだけで、新たなデザートとしてもお楽しみいただけます。ぜひフライパンにバターを引いて少しだけ焦げ目が付くくらい焼いてみてください。生地の外側が少しパリッと、中はよりふっくらとし、まるでできたてのような味わいが蘇ります。電子レンジをご使用になる場合は、袋のまま20秒ほど温めてバターを付けながら食べていただくと美味しいですよ。

さらに、このバターで焼いたどらやきに、生クリームやクリームチーズとカットしたお好みのフルーツを挟んでいただくと、いつもの手掴みで頬張るどらやきとは違い、フォーク&ナイフでいただきたくなるようなデザートとして仕上がります。苺やブルーベリーのような少し酸味のあるフルーツの方が、餡子との相性が良くお勧めです。また8月中旬から11月にかけて販売している栗どらやきも、同じようにバターで焼き、抹茶アイスを挟んでいただくと抹茶の苦味がどらやきや栗の甘みにほどよく合い、また違った味わいの美味しさが楽しめます。

鈴懸のどらやきはコクがある卵黄で虎模様に焼かれ、もともと「とらやき」と呼ばれていました。鉄板の上に紙を敷き、その上に生地を丸く落として焼くことで、虎模様の焼きむらが表れます。この焼きむらがあることで、しっとりとした食感が生まれ、ふんわりとした柔らかなどらやきとなるのです。弁慶の時代に思いを馳せてそのままのどらやきを味わうも良し、バターで焼き、お好みの味を足し新たなデザートとして楽しみ方を広げるも良し。長く愛され続ける定番の和菓子ならではの懐の深さを楽しみ尽くしていただきたいと思います。

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