百味飲食

連載 すずなり

和菓子を通して、色々な言葉を知ることができるものです。お盆の御供菓子が店頭に並び始めると、思い出されるのが「百味飲食(ひゃくみのおんじき)」という言葉。お盆に落雁が供えられるのは「百味飲食」の教えからといわれているのです。昔、お釈迦様の弟子が、亡くなった自分の母親が天上界ではなく餓鬼道に落ちていることを知ります。その母親は我が子を思うあまり、自分の子供さえ良ければという貪りの心を持ってしまったため、餓鬼道に落ちたことを知ります。そんな母親を助けたいと弟子はお釈迦様に相談したところ「自分の母親だけではなく、たくさんの修行僧や他の大勢の人にも飲食を施しなさい」との教えをいただきます。その教えに従い、母親を救うことができました。

誰でも親というものは、自分の子を思うあまり貪りの心を持ってしまうと案じた仏教徒が、先祖が苦しまないように始めた供養がお盆だとされています。「百味飲食」とは美味しいものという意味。昔は甘い砂糖菓子は美味しく、とても贅沢な食べ物だったため、砂糖でできた落雁に極楽浄土に咲くといわれる蓮の花などを美しくかたどりお盆に供えるようになったといわれます。お盆に御先祖様へ落雁を供えるとき、身内だけではなく広く人を思う心の大切さを思い出させてくれる言葉です。

日本の暮らしは、この数十年ですっかり様変わりしました。地域によって異なりますが、昔はお盆になると玄関先でお迎え火を焚いて御先祖をお迎えし、盆菓子や精霊馬などを供え、お盆の最終日には陽がとっぷりと暮れ暗くなってから送り火を焚いて御先祖様をお送りしていました。今では都心部に限らず、マンションで生活する人が増えるなど生活様式の変化に伴って、脈々と受け継がれてきた日本人の心のありかたに深かく関わる文化や行事が暮らしの中から消えつつあります。

だからこそ、この時期に鈴懸の店頭に並ぶ盆菓子を目にするとハッとさせられ心持ちを正されるような気がするのです。よくよく手に取って見てみると、御供菓子の落雁には実に繊細で見事な細工が施されています。お盆が近づくと鈴懸の工房では、古くから使われ続けている落雁用の木型に白や淡い緑色に彩られた砂糖と混ぜた落雁粉が職人たちの慣れた手つきで押し込められ、いくつもの御供菓子がつくりだされていきます。その一つ一つの木型はとても古く「多分、鈴懸創業時に仕入れたものだろうから、100年近く前に作られたものじゃないだろうか。」と現在の山口職人長が教えてくれました。

もはや今の時代には繊細で細やかな菓子型を手彫りできる職人が何人と残っていないだろうといわれるほど、貴重な木型。店頭に並ぶ蓮の花の落雁をつくりだす筒状の木型も側面にまで美しい蓮の葉が彫り込まれています。御供するお菓子であるため、とりわけ繊細に丹精込めて手で彫られた100年前の木型職人の想い。また、それを大切に受け継ぎ心を形にする菓子職人によってつくり出された造型を見つめると日本人の心が宿っているように受け取れます。

長く勤める前職人長の池園さんでも使用したことがないという、今の落雁の2〜3倍ほどもある大きな蓮や菊の木型も鈴懸には大切に保管されています。その大きさからみると、昔の日本の家にあった大きな仏壇には、このような大きな落雁が供えられていたのかもしれません。今の時代に合わせ、サイズは小さく姿を変えてはいますが、お仏壇に供える落雁を美しく仕上げるための幾重にも手彫りされた見事な細工に先祖を想う気持ちは変わらず今も心の奥底にあることを感じ、いつまでも見入ってしまいました。

古い落雁の木型にはどれも上下の合わせがぴたりと合うように刀で印が付けられています。蓮の花や、葉、菊などを作り出すいくつもの型の上下の組み合わせを間違わないように付けられた刀印は、形ごとに印を違える職人の工夫です。さらに、それを使う和菓子職人は落雁粉をギュッと押し込みやすいように、木型の端に持ち手を加え、錆びさせず長く使えるように竹の釘で打ち留めて、自分たちがさらに使いやすいよう工夫が重ねられています。

今、鈴懸でお求めいただける餡入りの落雁は、古くから鈴懸に保管されていた型を使い、現在の職人長である山口さんがつくり出したものです。お供えする落雁に餡が入っているのは、ご先祖様に美味しく食べていただくのはもちろん、お供えしたものはお下がりとして私たちも口にして良いとされていますので、どんな方にも美味しく食べていただきたいという思いからなのだそうです。まさに「百味飲食」の心が宿ったお菓子なのです。はるか昔の木型職人が丹精込めてつくった道具を大切に使い続け、先代の和菓子職人から技法を受け継ぎ、今の時代に合わせながら、その心の大切な部分もまた次代に繫いでいく。お盆の御供菓子は美味しいだけでなく、様々な日本の心や、人を思う優しい気持ちが込められているのです。

連載 すずなり

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