たいがいの和菓子好きは、あんこ好きといっても過言ではないでしょう。あんこを使ったお菓子はかなり古い時代からあるように感じますが、その歴史を紐解いてみると、飛鳥時代の遣隋使によって中国から伝えられた肉団子が最初とされているようです。その頃のあんこは今でいう甘いものではなく、饅頭などの中の詰め物として肉や野菜が使われていました。今でも肉まんや、焼売など皮で包む中身のことを“餡”と呼ぶのは、ここに由来しているのでしょう。
時代は進み鎌倉・南北時代になると、聖一国師(しょういちこくし)という高名な臨済宗の僧侶が中国(当時の宋)より蕎麦、うどん、饅頭、羊羹などの作り方を伝え、当時は肉を食べることが許されなかった僧侶のために肉の代わりに小豆を煮詰めて甘葛(あまづら)の甘味と塩を加えた“餡”を饅頭の皮に包んで蒸したとされています。この聖一国師は、鈴懸が本店を構える博多の地とはとても縁が深く、博多にある臨済宗の寺院、承天寺を開山し博多を代表する祭りとして全国的にも知られる「博多山笠」の起こりともされています。さらには明治時代になると、餡を乾燥させて粉末状にしたものが用いられるようなったことから餡の粉を“あんこ”と呼ばれるようになり、今では粉末状のものだけでなく、餡をつかったものを広く“あんこ”と呼ばれるようになったようです。
“餡”は遥か時代を遡って存在していましたが、砂糖を庶民が食べられるようになったのは江戸後期から明治時代の頃とされますので今でいう甘い“あんこ”が親しまれるようになったのは、この頃からなのでしょう。それまではとても高価なもので、位の高い人か病人などに薬として用いられたものだったようです。もしかすると、無類のあんこ好きには、そんな当時の憧れや、初めて甘い砂糖入りの“あんこ”を口にした時の驚きと感動が遺伝子に残っているのでは‥‥なんて思わずにはいられません。
小豆を茹で、砂糖を加え、塩梅よく塩を効かせて作る餡。材料はいずれも小豆と砂糖と塩のシンプルなものですが、小豆の粒をほどよく残す“つぶあん”や、小豆を潰して練り上げてつくる“こしあん”だけでなく、和菓子に用いる餡は、小豆から作るもの以外にも手亡豆や白小豆のあんこや、味噌あんというものもあります。豆の種類によって食感や風味もほのかに変化し、合わせる生地や素材によってそれぞれを引き立て合い、美味しいひとつの菓子となります。
鈴懸の工房では毎日、早朝から職人たちの手でさまざまな餡が作られます。皆様に好評を頂いている「苺大福」の餡は、あまおう苺の酸味を優しく包んで引き立てる、ひかえめな甘さの小豆のこしあんですが、同じこしあんでも今の時期に登場する「桜葉餅」や「ぼたもち」など姿を変えれば、そのこしあんの味わいも変わります。「鶯餅」の求肥餅には小豆のつぶあんが包まれ、小豆の粒感が食べ応えのある一品となっています。
“あんこ”と一口で言っても、さまざまな豆の材料、製作の工程、調味の加減によって仕上がりの姿を変える餡。
和菓子の美味しさや完成度を左右する餡は、一つの菓子を作り上げるのに用いる量も大切な決め手。鈴懸では100年続く職人たちの経験と技でさまざまな餡を日々こしらえています。小豆の種類で選んでも良し、製法で選んでも良し、合わせる素材で選んでも良し。色々な餡を和菓子で存分にお楽しみください。