鈴懸を表現するものとして、その軸となるお菓子をつくりだすのが職人ならば、その輪郭をつくりだすのは店舗デザインやパンフレット、そしてこのすずなりが掲載されているWEBなどをつくるクリエイター達なのかもしれません。鈴懸においてのクリエイティブワークは、クライアントが発注した販促物などを形にしていく制作業における通常の流れとは全く異なるように感じます。販促物の制作会議、特に初回などは、具体的な条件や仕様の確認というよりも、店主がお客様へそのときに伝えたいと感じているものを、言葉を交わしながら掴み取っていくような時間です。鈴懸に関わるクリエイター達は決して多くはないのですが、ひとりひとりが店主との感性の共有を長い時間をかけて行ってきているように思います。
20年以上に渡り、鈴懸のあらゆるシーンを写真として切り取ってきたカメラマン水崎浩志さんも、その一人です。やはり最初は写真撮影に求められるものが他社の案件とは違い、戸惑いもあったのだとか。カメラマンとしての技術を尽くすというよりも、店主が〝その時に感じていること〟を受け止めて、その輪郭をはっきりさせていく作業といった方が近い感覚だと水崎さんは話してくれました。「商品を撮影してください。」というオーダーには、撮影を始める前にまず「どう表現するか」を店主と一緒に探っていく試行錯誤の時間に多くが費やされスタートします。店主が今、しっくりする表現の形はどんなものなのか、カメラマンとして感じている今の空気はどんなものなのか、しばらく感性のキャッチボールのような時間が繰り返されます。
例えば、お菓子を紹介するパンフレットといっても、その表現は様々です。パンフレットを構成する大切な要素となる商品撮影に具体的な指示や決め事はありません。だからこそ、シャッターを切るまでの間、水崎さんの心の内では店主が見ようとしている景色を言語化してみるなど、様々な思考が長く続くのだそうです。その表現の試行錯誤は、店主も同じこと。いつも、その時に合う見せ方や表現を模索しているのです。お客様にお配りしているパンフレットに掲載されているお菓子の写真表現には、その一片が顕著に現れています。例えば10年ほど前にお配りしていたパンフレットでは、真っ白な背景の中に一つずつお菓子そのものが浮かび上がる記号のように切り取られ、お菓子自体のフォルムや色合いの美しさが強調されています。一方、現在お配りしているパンフレットでは、お菓子をいただく時のままに菓子器に盛られた状態で収まっているのです。
この10年の間で変化した店主が思うお菓子の見せ方は「ただ自然な状態でもお菓子は美しく、できたての質感はいかにも美味しそう」であること。作為的なことはせず、〝ありのままのお菓子〟を美しく美味しそうに写真でも表現したいと、気持ちが移ろいでいったのです。それに応えるように水崎さんも、お菓子はいつもいただく時のように菓子器に盛り、最初は様々なライティングのテストを行ったのだそうです。でも、何か店主が求めているところに到達していないように感じる。撮影用のライトを使用し、光を意図的に当てて撮影したお菓子はどこかドラマティックになってしまうのです。
鈴懸がつくるお菓子は和菓子であり、つまり私たちが普段和菓子を見るときの光は、もちろんそんなライトアップされたものではなく、燦々と強く降り注ぐ日差しでもなければ、暗く陰鬱な光でもない。どこかしっとりと湿度を孕んだ柔らかな光なのだと水崎さんは感じていました。天井が低く、壁の多い室内で、大きな窓も少ない日本家屋の一室で感じる光。その中で菓子器に盛られたお菓子がつくる影もまた、黒と白の強いコントラストではなく、微妙に濃さを変化させるグレーのグラデーションが柔らかく続きます。
カメラマンとして〝今の鈴懸〟のお菓子を写真で撮るときにしたことは「光の整理」だったそうです。自然光での撮影に変えつつも、その中でも水崎さんの目には明るい光も暗い光も、ある種、不快な要素があると感じているのだとか。それを取り除き、より自然に優しくそっと存在している様子を写真に収めることは、水崎さんの言葉を借りると「アク抜き」をしている感覚なのだそうです。カメラを構えるまでに何度も思考し、店主と鈴懸の在り方を探っているので、本番の撮影ではわずか1、2回ほどしかシャッターを切りません。水崎さんの目を通して紹介されるお菓子の存在は、鈴懸のその時のお菓子に対する思いまでもが汲み取られ、写し出されているように思います。
写真の変化は、その時代に流れる鈴懸の空気感の変化でもあるのです。表現をするまでの試行錯誤を紐解くと、鈴懸のあゆみをも見て取れるかのようです。光の整理だけでは言い尽くせない、今も続いている苦しくも楽しい試行錯誤の秘話がまだまだたくさんある様子。鈴懸の裏側を知る秘話の続きは、また別の機会でお話しいたしましょう。