曖昧に潜む

連載 すずなり


福岡県立美術館の真向かいにある額装店。その店の奥に天井から吊るされ揺れているのは、見慣れた「鈴」と「懸」の二文字。ここはフレーマー(額装師)である矢部博史さんの仕事場、額装専門店「SPOT FRAME WORKS」です。矢部さんと鈴懸のご縁のきっかけは、福岡を拠点とする佐々木亮平氏のアート作品でした。現在、鈴懸の社員食堂に飾られているその作品を求めるとき、鈴懸店主の目を惹いたのは美術作品だけならず、その額装の美しさだったと言います。その額装を手がけたのが矢部博史さんでした。佐々木氏の作品は、社員食堂の壁の一角を飾るには大きなものであるにも関わらず、見事に美しく空間に溶けこんでいます。その、作品を「囲って飾る」のではなく「溶け込ませる」ことで調和を生み出すフレームの美しさに魅かれ、鈴懸の店主は今年新しく店舗を構えた麻布台ヒルズの一角を矢部さんに担って欲しいと願い出たのです。


ご自身のことを「アーティストではない」と語る矢部さん。フレーマーとして「鈴懸の新店舗を飾る作品を」というオーダーに、最初はかなり戸惑ってしまったそうです。学生時代より美術を学んだものの嫌気がさし、その後、家具職人を目指そうとしているときに画材屋で出会った額装に魅了され、今の仕事を自ら手がけることになったと言います。美術に嫌気が差したというのは、そこに深く取り組んでいたからこそなのでしょう。アーティストにも職人にも憧れを頂きつつも、そのどちらでもなく、またそのどちらとも言えるフレーマーという道を進んでいる今。先に作品ありきで額装を手がける従来の仕事ではなく、矢部さんに作品までを任せたいという鈴懸店主からのオーダーは、アーティストとして思考をめぐらしながらも奥底にある自分自身と向き合うことにもなり、難しくも面白い体験だったと矢部さんは話してくれました。


フレーマーの立場としての作品づくりを始めるヒントを探るため、鈴懸の歴史はもとより、手に入る情報から鈴懸のお菓子づくりへの考え方を、まず自身に取り込むことから始めたのだそう。日本の四季折々で手に入る素材を活かし、つくったその日のうちが一番美味しい朝生菓子をはじめとする和菓子の多くは、日持ちがしません。お菓子づくりは、季節だけでなくその日の温度・湿度で微妙に塩梅を変えていきます。“美味しい”と感じていただけるお菓子をつくり上げるには、饅頭一つとっても、その時々に合わせた僅かな変化を繰り返した時間の積み重ねです。そんな和菓子の“在り方”を感じ取り、職人の手から作り出されるお菓子と共通する “在り方”や美しさをもつ手漉き和紙を用いて何かをつくりたいというところから麻布台ヒルズに納める矢部さんの作品づくりはスタートしました。

矢部さんのお仕事は本来、書家や美術家の方々の作品のフレーム制作をすることであるがゆえ、その方々に敬意を払い、自分自身で文字や絵を書くことをせずに面白いものとして仕上げたいと模索して行き着いたのが、筆で書かれた「鈴懸」のロゴを自らの手で筆致の細部に至るまで切り取って型紙とし、店名の由来となった鈴懸(プラタナス)の木を自らの手で炭化させた炭の粉を用いて写し取る、ステンシルの技法での表現でした。和紙は、陽に当たるなど経年変化すると、他の紙のように黄色く焼けるのではなく、白く冴えていくのだそうです。また、炭を使って描かれた文字や絵は時間が経つにつれ擦れて用紙から剥がれたり色が褪せたりするため、普通は定着材を用いて炭を紙に定着させます。それを矢部さんはあえて、麻布台ヒルズの外部に面した店頭に飾られる作品にも関わらず、色が変化する手漉き和紙に、炭を用いてステンシルで写し取った「鈴懸」の文字を定着させることなく納めました。矢部さんの真骨頂であるフレームそのものも和紙で背面まで覆うことで、作品とフレーム、フレームと店の壁との境界を無くし空間に馴染ませ、強い主張をせずとも確かな存在感を放ちます。日ごとに和紙の白は冴え、炭は少しずつ剥がれてフレームの底に積もっていくかもしれません。移り行く日々の中で見て取れる変化は劣化ではなく、美しい時の経過です。時間を切り取り固めるのではなく、日々のゆらぎの曖昧さを良しとする、そこに美を捉える感性が、鈴懸店主のお菓子づくりを通して常に求めていることと、矢部さんの作品づくりから放たれる美意識に一致しているのでしょう。今日美味しい和菓子は、今日だけの味です。麻布台ヒルズの矢部さんの作品も、今日目にするものと、明日目にするものは少し違った美しさで存在しているのかもしれません。


今、矢部さんは北九州のGALLERY SOAPにて、個展「FRAMING IN PROGRESS」を開催しておられます。実に構想から2年の月日をかけて「フレームとは何か」という問いに向き合い、生み出された27点の作品です。アーティストとして深く思慮し、膨大な実験を繰り返しながら模索した表現を職人としての確かな技術で完成させた作品群は、フレーマーとしての矢部さんにしか成し得ない美しい世界です。アーティストにも家具職人にも憧れを抱きつつも、そのどちらの道にも進むことをせずフレーマーとして歩み出した矢部さんに、個展を開催することを決意させたのは、鈴懸の麻布台ヒルズ店に納めた作品づくりがきっかけだったのだと話してくださいました。

真っ白なギャラリーの空間にサイズも作りも同じシンプルなフレームが整然と並びます。フレーム自体が持つ色合いも寸法も、余白のバランスも、天井からのライトに照らされて落とす影も、それは美しいものです。とはいうものの、一定のリズムで飾られたフレームの中は何も飾られているものが無い個展に、戸惑う方もいるかもしれません。15分経過した頃、突然、会場の照明は全て消されて真っ暗な空間に変化します。すると、先ほどフレームが並んでいたであろう位置に、淡くほんのりと発光する青や、強く鋭く冴えた緑などが、それぞれの輝きをもって四角に空間を切り取って現れたのです。フレームそのものの存在が闇に溶けて見えなくても、闇と光の境界にそれは確かに存在していました。目が慣れてくると青、緑などと単純には表現できないような様々な光の色が存在していることに気づかされます。また光の内側に存在する闇に溶け込んでいくグラデーションもそれぞれ違い、見れば見るほど魅かれていきます。この光はライト(電球)ではなく、ある技法をもって矢部さんが作り出した光のフレームです。15分ごとに光と闇が繰り返されるたびに、木製のフレームと光のフレームとが創り出す世界はただ美しいだけでなく、不思議と眺めている自分自身の内なる想いがそこに映し出されて見えてくるような、とても興味深い展示でした。矢部さんをはじめ、鈴懸ではたくさんのアーティスト、作家の方々がともに鈴懸の世界を彩ってくれています。お菓子を買うという日常の中で、概念に捉われることなく表現の枠を解き放つことを楽しんでくれた素晴らしい作家達が生み出す美しい世界も、感じていただけたらと思います。

 

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