⽇々是好⽇

連載 すずなり

早朝、鈴懸の⼯房では、その⽇の店頭に並ぶお菓⼦が職⼈たちの⼿によって次々とつくられていきます。鈴懸本店では朝8時に早番の店員たちが揃うと、それぞれがショーケースを拭き上げ、店内を掃き清め、花の⽔換えをし、表を向いて道ゆく⼈に愛嬌を振りまくオランウータンの「森の⼈」にお⽔をあげ、神棚の⽔を新しいものに替えて静かに⼿を合わせます。毎朝決まったお客様をお迎えする準備が始まりました。互いに挨拶をひとこと交わすだけで、開店する9時までの間にこなすたくさんの準備作業は、誰が何をすると決まっているわけではありません。菓舗の店員も、茶舗の店員もそれぞれが店全体を⾒渡しながら、終わってない作業を⾒つけては、どんどん整えていきます。

朝8時半、⾞で5 分ほどの⼯房からできたてのお菓⼦が届くと、⼀つ⼀つ丁寧にショーケースの⼤⽫へと村⽥店⻑が並べていきます。お菓⼦の向き、並べ⽅などお客様が⾒て美しく感じていただけるように整えていきます。細かいことですが、乾燥避けのためにお菓⼦にかぶせているセロハンは、はみ出した部分を⼤⽫に沿って切り揃えていきます。もしかしたらこんな細かな設いは、お買い物をされている際には気付かれないことかもしれません。でも、それで良いのです。もし、このセロハンの端を処理しなければ、ショーケースの中でガサガサと余ったセロハンがうるさく⽬⽴ってしまうかもしれません。少しはみ出た端を切り揃えることでお菓⼦の上にあるセロハンが違和感を無くし、お客様の⽬はお菓⼦だけに届き、⼼地よくお買い物していただけているとしたら、とても⼤切な⽋かせない⽀度の⼀つなのです。
⼀⽅、店の外でも⼤切な準備が進みます。まずは店の⼊り⼝に打ち⽔をしていきます。これは、例えば夏は⽔をまくことで少し温度が下がり暑さを和らげることもできますし、秋や冬の乾燥して埃が⽴つ季節には道の⼟埃が店に⼊ることを防ぎます。こういった実⽤的な⽬的のためだけでなく、打ち⽔には「清め」の意味もあるのです。古くから⽇本では⽔には浄化する⼒があるとされ、⽔で⼊り⼝を清めることでお客様に⼼地よく店内に⼊っていただきたいという思いで打ち⽔を施すのです。ですから、この打ち⽔は毎朝開店前の⼀度きりというわけではなく、約1時間ごとに閉店の時間まで⽋かさず⾏っています。打ち⽔をするのは店頭の⼈々が往来する歩道から店の前に置かれた結界までです。この結界とは、菓舗・茶舗それぞれの道に⾯した⼤きなガラス窓の前に置かれた⽵で組まれた仕切りのことで、これもまた鈴懸の⼤切なお客様をお守りするためにお店が開店している間、不浄を招かないように店先に置かれています。
そして表の準備でもう⼀つ⼤切なのが、のれん掛け。鈴懸本店の⼊り⼝に真っ直ぐに垂れる丈の⻑いのれんは、魔除けを意味する陰陽五⾏に基づいた五⾊でできており、毎⽇違う⾵を受けてお客様を外から内へと誘います。のれんが掛かっているということは営業中の証。さらに、りんと澄んだ⾳で邪気を祓うとされる鈴が⼆つ結びつけられています。打ち⽔をした道から、鈴の⾳を天に聞き、五⾊ののれんを分けて、結界で仕切られた店内へお⼊りいただく。全てはお客様が⼼地よく鈴懸での時間を過ごしていただくためのおもてなしの⼀つです。
ひと通りの開店準備が整った頃、最初のお客様の姿がお店の⼊り⼝に⾒え始めます。前掛けをきゅっと結び直し、気合いを⼊れ、最初のお客様をお出迎えします。おもてなしマスターの肩書きを持つ⽷⼭さんは、⼊ってくるお客様の表情や⾜⾳の響き⽅でその⽅の様⼦をつぶさに感じとります。本店のある福岡市博多区の川端町の界隈は、オフィスも数多くあるためスーツ姿の男性や、出張のお⼟産を求められる⼥性のお客様も多く訪れます。時には⾜早に駆け込んで来られる⽅も少なくありません。お急ぎの⽅へは急ぎご対応させていただきつつ、お買い物を楽しまれたい⽅には必要以上にお声かけせずにゆっくりと商品をご覧いただき、お決まりになられるまでお待ちします。⻑く店頭に⽴ち続け、たくさんのお客様と接してきた⽷⼭さんが特に印象深く残っているお話しを聞かせてくれました。

ある⽇、とても申し訳なさそうに上⽣菓⼦を⼀つだけお求めになった年配の⼥性のお客様がいらっしゃったそうです。お話ししてみると、以前その⽅は鈴懸の近くに住われていて、よく⾜を運んでくださっていたのだとか。しかし今は遠く離れた場所に移り住んだために通えなくなり、今⽇は⽤事で近くに来たので懐かしくて寄ってくださったと。でも歳をとってしまいたくさん⾷べることができなくなってしまったので⼀つしか買えずに申し訳ないと、その⽅は仰ったのだそうです。⽷⼭さんは、そう話してくださったお客様のお気持ちが⼼が震えるほどに嬉しく、思わず涙ぐんでしまったのだそうです。⼀つだけ買うことが申し訳ないだなんて、とんでもない。⼀つのお菓⼦を懐かしく思いだしてくれ、求めてくださったそのお客様を今も忘れないと。毎⽇たくさんのお客様が、⾊々な想いを抱えてお店を訪ねてくださいます。お⼀⼈お⼀⼈に⼼地よく過ごしていただけるよう、ずっと気が張っているためか、あっという間に鈴懸の1⽇は過ぎていきます。最後のお客様をお⾒送りし、のれんを下げて、やっとほっと⼀息。空になった重たく⼤きな⼤⽫を⼀枚⼀枚洗いながら今⽇のお客様を思い出し、店仕舞いを整えます。さぁ、また新しい明⽇がきます!明⽇はどんなお客様に出会えるのでしょうか。

連載 すずなり

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