愉しさと緊張の間

連載 すずなり

鈴懸 連載すずなり 愉しさと緊張の間鈴懸の職人たちは、和菓子屋の仕事として日々の店頭に並ぶお菓子をつくることはもちろんですが、それ以外にもイマジネーションを働かせ、培った手技を駆使してお菓子を生み出さねばならない機会が年に何度か訪れます。「お誂え菓子」のご注文をいただいた時が、その一つです。例えばお茶会の主催者である亭主から、主菓子のご依頼をいただくことがあります。お茶会で出されるお菓子は、店頭で通常販売している上生菓子から催される時候や歳時に沿ったものを選ばれてご注文される場合も多々ありますが、時にはお茶会の趣旨に合わせ、材料や意匠をその時だけのものでとご依頼されることもあるのです。初釜や、お祝いのお茶会など、開かれるテーマに合わせ趣向を凝らした意匠のお菓子でもてなされたら、きっとその会は印象深く、楽しいものとなるに違いありません。

先日も、ある方の還暦のお祝いに催されるお茶会の主菓子のご依頼をいただきました。寅年に還暦を迎えられるおめでたいお席ですから、文様は雄々しい寅の背を表し、あんこは魔除けの意味を持つ“赤”を表すため白小豆あんに紅を入れてみたりと、お正客に喜んでいただけるように思いを巡らせ、ご依頼主様と相談をしながら試作を繰り返します。「お誂え菓子」は、主にベテランの山口職人長がお引き受けするのですが「 “その日その時、一度限り”のものですから、お届けするまでの試行錯誤は愉しくもあり、いつもとは全く違った緊張感があるんです。」と、特別なお菓子だからこその複雑な心境を話してくれました。お茶会に限らずお友達同士の集まりや、お祝いのお裾分けとしてなどご依頼の目的は様々ですが、いずれもお菓子をお届けするお相手が具体的に浮かぶため、その方のお好みに合うだろうか、喜んでいただけるだろうかと、ベテランの職人長にしても簡単なことではないようです。誰かに喜んでいただくために手を尽くすことは楽しいこと。でも、「ご依頼された方の思いもありますしね。」と職人長が言うように、会を主催された方ご自身の「喜んでもらいたい!」という思いも受け止めておつくりしなくてはなりません。味を決める素材や手法、意匠に大きく関わる全体の形や文様や色合いは、職人長が培った技術だけでなく、これまでに目や舌で経験した全ての感覚を研ぎ澄ませて一つの形にまとめあげていくのです。これまで受注した「お誂え菓子」の思い出話を聞くにつれ、受け止めた思いを叶えられるかと緊張しつつも、どこか職人長は“一期一会”のお菓子づくりを愉しんでいるように見えました。

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「お誂え菓子」とは少し違いますが、年の初めの「御題菓子」もまた、職人たちを愉しませつつも悩ましいお菓子づくりの一つと言えるでしょう。「御題菓子」は新年の宮中行事として催される「歌会始(うたかいはじめ)」で歌人たちが詠む御題に合わせ、全国の菓子司はそれをお菓子で表します。今年の新春の歌会始で2023年の御題が「友」と発表されてから、鈴懸でも来年早々にお披露目する「御題菓子」をどのようなものとするか、考えを巡らしてきました。「御題菓子」は山口職人長率いる職人だけでなく、本社や東京などの店舗のスタッフからも広くアイディアを募ります。御題から連想される言葉を紡いでみたり、頭に浮かんだイマジネーションをそのまま形にしてみたりなど、その手法は様々。スタッフそれぞれが、これまでの自分と大切な友達との思い出を振り返ったり、友とのあり方を見つめ返した一年となったようです。2023年の鈴懸の「御題菓子」は風になびくミモザの花で「友」を表しました。ミモザの花言葉は、感謝・友情。また、ふんわりとした優しげなミモザの鮮やかな黄色い花が咲き始めると春が近いしるし。そばにいてくれるだけでパッと気持ちが明るくなるような、心を癒してくれる友の存在にも似たミモザに鈴懸の想いを託してみました。

鈴懸 連載すずなり 愉しさと緊張の間毎年「御題菓子」の試作が本格的に開始される夏になると、各自がイメージした味や形を細かくスケッチして本社に集められます。そこからさらに、職人たちによる具体的なお菓子づくりの試行錯誤が続きます。ひとつのお菓子として完成するまでには、伝統にも革新にも通じる知識や知恵、そして手技が駆使されます。職人も社員も「御題菓子」の完成にむけて毎年産みの苦しみを愉しんでいるようです。

鈴懸 連載すずなり 愉しさと緊張の間「お誂え菓子」も「御題菓子」も、想像力を豊かに広げ、日本語が持つ言葉の意味を深く掘り下げて形にする、日本人らしい奥ゆかしい遊びともいえます。鈴懸の工房では、これまでご依頼いただいた「お誂え菓子」がサンプルとして大切に保管されています。ひとつひとつに意味を持つお菓子を見ていると、ご依頼いただいた方々の背景と、その時に取り組んだ試行錯誤の想いが鮮明に蘇ってくると職人長は言います。たくさんの方の喜びの席に寄り添うことができたお菓子は、ご依頼主の思い出となっているだけでなく、鈴懸にとっても大切な宝物のような軌跡となっているのです。

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