お菓子や料理は見栄え良く装飾するために、時には着色料を使用することがあります。かねてより、その着色料を使って色を付けるということに鈴懸の店主は違和感を抱いていました。“美味しい”とすることは、まず眼で見て感じる要素が大きな役割をもたらしますので、食べ物を美しく見せることは、とても大切だと思います。お供えに用いるお菓子や料理は何かに見立てて作られることも多く、着色料を使って描いたり飾り付けたりすることは当たり前の工程でもあるのです。しかし着色料を使って付ける色は、どこか明るすぎたり冴えすぎたりするもので美しく発色はするものの単一的な色の具合となってしまいます。お飾り用のものはともかく、自分たちが口に入れるものに着色料を施して造作することに、やはり店主は「納得いかないなぁ。」と、日々思っておりました。
そんなある日、ふと何気なく置かれていた野菜に目が釘付けになったと言います。土が付いた人参1本。一見すれば、人参の色は鮮やかなオレンジ色だといえます。でも、よくよく見てみると、そこには黄色や黄緑色、少し白を混ぜたようなオレンジ色も見て取れます。さらに形も個体ごとに異なる細長い円錐形をしています。分かりきったことのようでも改めて見つめ直してみると、まるで初めて知ったかのようなその美しさに店主は夢中になってしまっていたのです。そう、野菜はなんとも美しかったのです。
野菜が持つ、独特のくすみがありながらも鮮やかさが冴える色合いは、着色料では出し得ない“色の趣”だと店主はすっかり魅せられてしまいました。人がつくることのできない色や形の美しさに見惚れてしまったのです。野菜そのものを見ながら形や色を真似てつくることはできるかもしれません。でも、大地から出でたままの野菜ひとつひとつが持つ形や色は、その個体だけのもの。蓮根は、たっぷりと張られた水の下、栄養たっぷりの泥土の中で育ち、やわらかな白色で、穴の数はなぜか必ず10個空いています。さつまいもは、赤とも紅とも違う、どこか蛍光色のピンクを感じさせる紫を帯びた色をした薄い皮で包まれ、断面は黄色味を帯びた白色。その断面はひとたび熱を加えると黄金色に深みを増します。自然って不思議!どの野菜も見れば見るほど、形も色合いも素晴らしく複雑で面白く、そして美しいのです。
お菓子は、種類によってその役割や意味合いは異なります。小腹が空いたとき、おやつとして少しの空腹を満たすには饅頭のように満足度の高いものが良いかもしれません。一方、お茶請けとしてのお菓子には、お茶に合う味を選ぶだけでなく、季節を映したものや、とりわけ姿形が美しいものは、一緒にお茶を楽しむ方との会話の糸口にもなり楽しいものが良いでしょう。そんなお茶請けとして、旬ごとに様々な種類が登場する野菜でお菓子をつくれたら、それはきっと美しく美味しいものになるに違いないと発想し、「菜々菓」はうまれたのです。
茹でたり、蒸したり、干したりするたびに次々に様用を変える野菜は、それぞれに個性的な旨味をもっています。素材そのものが持っている個性をいかし、必要以上に手を加えないことは、鈴懸のお菓子づくりや店づくりにおいての根本的な想いや考え方です。「菜々菓」は、採れたての旬の野菜を工房でカットし、茹でて蜜煮して、砂糖をまぶして乾燥させただけのシンプルなもの。登場する野菜の種類は旬に合わせ異なりますので、1年を通して時の移り変わりを感じていただけます。野菜ごとに相性の良いお茶を見つけてみるのも、生活の中でちょっとした楽しみにもなるのではないでしょうか。「菜々菓」の種類が変わるごとに、時に流されることなく、ゆったりお茶に合わせて一息つく時間を作ってみるのも良いですね。
野菜によっては、少しの砂糖でも纏わせずに、そのまま食した方が美味しいものもあります。そんなときは、どんなに姿形や色合いがお菓子にすればさぞ美しいだろうと想像できても、潔く野菜のままでいてもらいます。ありとあらゆる野菜を試し、お菓子として姿を変えても美味しく美しい野菜だけを「菜々菓」としてお客様のお手元にお届けしています。
お干菓子の「tatamize」も、「菜々菓」を誕生させた想いと同じでした。自然の穀物や野菜が持つ色合いだけで味と色を成り立たせています。どちらも20年以上の永きにわたり、お客様に好んで選んでいただける鈴懸の代表的なお菓子のひとつとなりました。それは味だけでなく、こんな鈴懸の考え方がお客様にもご理解いただけているからではないかと思うのです。季節の変化を自然の中にさまざまに見出し、感じて、暮らしに取り入れることで心豊かに過ごす。店主が野菜の中に見出した美しさは、鈴懸の原点であるともいえるのです。