道具に宿る – 焼きごて

連載 すずなり

甘い香りが立ち込めている工房の端には、家庭用の2倍以上もの大きさがあるいくつものガスコンロが並びます。いつもは大きな鍋がかけられ、つやつやとした餡を練るなどしているのですが、今日はその上に鍋の姿は無く、ごおっと青い炎だけが激しく立ち上っています。五徳の中を覗いてみると、矢尻のような三角形をしたものと丸い棒状の焼きごてが激しくのぼる青い炎の真ん中に寄せ集められていました。この焼きごて、紅白の祝いの席に配られる饅頭などの真ん中に寿や祝などの文字を刻印するための道具です。鈴懸でもご要望によっては人の名前や企業のロゴマークなどをかたどった焼ごてを使用して、お客様のお祝いにお遣いいただく独自のお菓子に仕上げます。

昔は各地に腕のいい鍛冶職人がいて、職人ごとに個性のある独特の線や形が創り出されていたので、それを選ぶこともお菓子づくりの大切な個性となっていたようです。今では職人達が減り、当然、個性豊かだった道具も減ってしまいました。もちろん工業製品としてつくられた道具が今はたくさんあるのですが、それは画一的で線にブレが無いために、人の手によってつくられた道具を使用した際にうまれる“味”といわれる個性も生まれません。それだけでなく「昔の焼きごては焼きやすくてね、しかも生地に押しつけたときに感触が違っていた。滑っていたという感触が今の焼きごてにはないんだよね。だから使えない。」と、見ただけでは知り得ない、道具を使いこなして美しさを表現する和菓子職人ならではの切ない胸の内を職人長が話してくれました。職人長は、どこかにある手作りの道具を求めて日本各地、今でも探し歩いたりもするのだそうです。鈴懸で使われている焼きごても古くから長く使われ続けてきたものです。

先ほどの大きな五徳のそばに、工房を甘い香りでいっぱいにしていた要因である餡と真白な求肥餅が包まれた生地が次々と運ばれてきます。真ん中がふっくらとした半円状に長細く丸められたその生地は、左端だけ摘んでたたまれた独特の形をしています。その一つに先が真っ赤に変色した焼きごてがジュっと押し当てられます。三角形の焼きごてを少し寝かせて側面をジュッ、ジュッと二回。リズミカルに一定のリズムを刻みながら折りたたまれた生地の右側にVの字が刻まれます。そして、次に丸い棒状の焼きごてが真っ直ぐ生地に向かって下ろされると、5月の人気の商品「若鮎」が現れました。三角形の焼きごては若鮎の胸びれを、棒状の焼きごては若鮎の目を刻み付けるための道具だったのです。この若鮎のような魚の顔をつくるために、目の部分とエラの部分が一体となった焼きごてもあるようなのですが、それでは同じ顔が並んでしまいます。

より自然に近い姿をお菓子に映しとりたい鈴懸では、生地を折りたたむことでエラをつくり、三角形の側面を二回焼き重ねることで胸びれを、棒状の先の円で目を焼き入れます。このつくりかたであれば、職人が変わればもちろん、同じ職人が焼きごてで胸びれや目を施したとしても、微妙にズレが生じて“味”となり、一体として同じ若鮎は生まれないのです。道具を選びとり使いこなすことで表現したかった職人の思いがお菓子を通して溢れ出します。最後にジュッと目を焼き入れられた瞬間、同じようで一体たりとも同じものがいない個性的な若鮎たちにいきいきと命が吹き込まれるのです。

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